小説家は変わっている極論です。偏見です。 悪い意味ではないのですけどね。 小説って、たとえば一人称で書かれていたとしても、主人公ひとりだけで物語が始まり進み終わる話って、ほとんどないじゃないですか。 もしそういう作品を書いたとしても、プロだとしたらその一本調だけじゃやっていけない。だからやはり、物語を。 物語は生き物人間ひとりだけの話じゃありません。 登場人物が何人か必要です。 その、サブキャラが話すこと、行動。そういうのって主人公の気持ちだけしかわからなかったら書けませんよね。 大体の作家さんはリアルに、小説の中の、主人公以外のサブキャラもまるで生きているかのようにえがきます。それぞれのキャラが独立した“個”をもっているように感じます。 書いている作家さんはひとりなのに、何人もの心の内を見透かして、その上で物語を転がしていくのです。 スバラシキ、かな。 観察力や洞察力に優れていると言えるでしょう。もしくは故意にその能力を成長させたりしているのでしょう。私生活のなかで。私たちと同じ時間枠のなかで。 普通って、そんなに優れているものでしたか? 私はそうは思わないのです。他人を理解するのは難しい。他人を許容するのは難しい。 小説家は、そんなことを何食わぬ顔でやってのけているのです。一見、普通に生活しているように見えても。 変わっていると思ってもおかしくないんじゃないでしょうか。 ひとりの人間のなかにいくつもの独立した“個”を、生きている感情を抱えながら生きていくのは簡単ではないと思います。相手がより見える分だけ自分勝手な逃げ道も少なくなっていきますし。 そういった意味で、小説家の方の大多数はやはり変わっているのじゃないでしょうか。 自分で読み返してみてもいまいち意味がよくわかりませんがっ ジャンル別一覧
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